ケシーさんのブログを読んで、
思う。
https://caseyka.jp/2024/06/11/14162/
わたしは、
この覚悟が全然ないな、って。
で、
今日はここに
向き合ってみようと思う。
ここにいるわたしを
もういい加減掬い出してあげたいし、
見つけ出してあげなくてはと思うから。
わたしは離婚しているんだけど、
なんせね、
本当にひどく傷ついた。
こころも、からだも。
誰が悪いとか
そうゆうことじゃなくて
恨んでるとか憎んでるとか
怒ってるとか悲しんでるとか
もう何も覚えてないんだけど、
離婚して
もしかしたら10年くらい経つかもしれないいま
ただただ
傷ついたこころとからだが
まだ残ってる
ということが問題で。
あの時間
わたしは文字通り
一回死んでしまったと思う
全く違う人になってしまった
同じなんだけど、
なんていうか
わたしを構成してた細胞が
あのとき全部死んで
いまは
違うものでできてるくらい
テセウスの船みたいだ
あれはなんだったんだろう
からだの限界をこえて
こころの限界をこえて
そのときまでの私がこわれて
もともと
無限にもっていたあいを
ぜんぶおいてきてしまった
あいして
あいしきって
ぜんぶすてた
わたしをあれ以上こわすものなら
もういらなかった
すてるしかなかった
でも
すてたくなかった
あれはわたしのものだった
かみさまからもらった
自慢のたからものだった
純粋で
まっしろで
ぴかぴかで
しあわせな
わたしの自慢の宝物だった
でも
ほんとは
捨てたんじゃなくて
ふたをしただけだった
ないふりをした
見ないふりをした
宝物だったのに
わたしの自慢だったのに
だってもう
捨てたくなかった
捨てたくなるほど
傷つきたくなかった
こころとからだを
守らないと
生きていけなかった
立ち上がれなかった
だから
おびえた
こわいものが増えた
うたがうものが増えた
しんじちゃいけないことをおぼえた
あいしちゃいけないことを
覚えた
ちがうの
それでも
あいしてるの
すでに
あいしてしまうの
どれだけふたをしても
見ないふりをしても
捨てたくても
捨てれないの
神様がくれたあいが
自慢のピカピカのものが
どうやってもそばをはなれない
それをまた
認識するのが
こわい
こわいよーーーー
からだとこころに
ショックが残りすぎてる
もしまた
捨てなくちゃいけないようなことが
起きたら
今度こそ本当に死んでしまうかもしれない
こわい?
ううん、
ただ
からだとこころに残ってるショックが
反射で
おびえる
くるしくなる
そこに
閉じ込められてる子を
掬いたい
両手で包んで
掬って
くるんで
ぎゅっとして
もう大丈夫だよって
言ってあげたい
・
・
・
・
・
あいしても、いいかな?
また傷つくかな?
だよね。笑
ねえ、すごく
長く長く
かかっちゃったね
いいかな?
ばかみたいで
わたしらしいよね
不器用で
いじらしくて
でも愛してるよ
わたしも
そう思う
ねぇ、前に
進めそうだよ
前に進むのも
切ないもんだね
愛していくんでしょ
うん、
愛してる
苦しさも
怖さも
深さも
絶望も
悲しみも
ぜんぶ愛して
抱きしめて
すすむよ
応援してくれる?
いつでも
何を選んでも
選ばなくても
何をしてもしなくても
その時々のあなたのすべてを愛してるよ
ありがとう
わたしも愛してるよ
見ててね
いっしょに連れていくからね
いっしょにいこうね